胡蝶語り

shioumiの日記みたいな語り まあまあ日刊

10月6日 晴れ (写真)

 

日差しはまだ強いけれど、風は秋のものになった。

 

 

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Photo At : 墨俣 With: SONY α6000

LENS: SONY OpticalSteadyshot 4.5-6.3/55-210

 

 

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豊臣秀吉は、土木工事による戦を得意にしていた。

 

美濃攻めでは、独特の工法を用いた墨俣の一夜城で、美濃侵攻の足がかりを作り多大な貢献をした。高名な備中高松城攻めでは、長大な堤を築いて人工湖を作り、高松城を干上がらせた。柴田攻めでは山崎城を築城、北条攻めでは石垣城を作って、敵との戦いを有利にしている。

 

こういう戦い方をする将軍は世界史ではあまり類例を見ない気がする。中国でいくつか思いつくくらいか。

 

戦に限らず、物事はより大きな発想を自分のモノにしたほうがだいたい勝つ。戦を個人の武勇ではなく、戦術ですらなく、戦場自体を変化させてしまおうとする秀吉の構想力は白眉だったのだろう。

 

もちろん、戦に臨むのは最後の手段だ。そこに至る細かい人事・外交にも秀吉は心を砕いていたことでも知られる。さらに言えば、土木工事戦法はお金がかかる。秀吉が引き継いだ織田軍団は相当な金持ちだったけれど、秀吉は大阪を日本の経済の中心として開き、大阪の市に米を一度集めて離散させる、米経済を確立させた。そこから生まれる莫大な富から、巨大な戦費を捻出していたことは想像に難くない。

 

大きなグランドデザインから、スケールの小さな土木工事、さらにミクロな人心掌握術まで長けていた秀吉はすごい。日本史で評価されているよりも、実は大きな人物なのかも知れない・・・などと考えてみたり。